喪中と忌中の違い、取るべき行動の違いとその根拠について

親族がなくなったら一定期間喪に服して、その期間はお祝い事を避けるのが日本人の慣習ですね。

その間を喪中と言いますが、でも、忌中という言葉もありますよね。

喪中と忌中は意味が異なるのか、期間はどうなのか、なんでそうなのか。

気になったので備忘録として書いておきます。

 

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喪中の期間は49日なのか1年なのか

 

「喪中につき年末年始のご挨拶ご遠慮申し上げます。」

このような年賀状欠礼のはがきを受け取られたことや、家族に届いたものをご覧になったことはあるでしょう。

「喪中」=「亡くなった人のことをしのび、悲しむ期間」

と考えてよいです。

 

JapaneseFuneralArrangementTokyo

http://commons.wikimedia.org/wiki/File:JapaneseFuneralArrangementTokyo.jpg

 

通常は、このような年賀状の欠礼は、一年間とされます。

1月に亡くなられた場合でも、次の年のお正月も喪中に入りますので、いろいろなお祝い事は控えます。

 

しかし、お祝い事ではない、集まりごとなどには一定期間が過ぎると喪中であっても参加される方が多いです。

・・・喪中なのに、行動制限の範囲が途中で変わるのはなぜなんでしょうか?

これは「忌中」というもう一つの概念があるからです。

 

個人が亡くなった日から四十九日の間は、「死」という出来事に近い状態にあるという意味で、身近な親族はさらにいろいろな公式行事への出席も遠慮したりします。

「死」は「穢れ」であり、それを持ち込まないという発想ですね。

この期間を忌中と呼び、神社では忌中の方々が鳥居をくぐることさえも好みません、神聖な場所が死で穢れるというわけです。

 

この期間にある方には公式行事等であっても呼びかけを控えるのも、あるいは忌中にあるからと参加を断るのも当然と考えるのが常識です。

「忌中」=「人の死という穢れを外に広げないように対外的な行動を控える期間」

と考えることができます。

この期間が過ぎると、忌明けと呼ばれ、「死の穢れ」を持ち出すことはないので行動してもかまわないとされます。

これ、現代では画一的に四十九日とされますが、実は、ちょっと前までは立場や続柄によって異なっていました。

 

 

 

喪中や忌中の期間は法律で細かく定められていた

 

実は、喪中や忌中の期間というのは法律で細かく定められていた時期があったのです。

服忌令という法律が明治7年に発令されていて、これは昭和22年までは現行法として、多くの人が遵守していました。

 

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http://commons.wikimedia.org/wiki/File%3AEdo_l122.jpg

 

その法律、遡ると元禄年間(1686年から1704年、徳川綱吉の時代)の法律にまで届くのですが、一部だけ抜粋すると、こんな感じです。

実の父母の死は、忌中が50日間、喪中が13ヶ月間、これには子が服する。

夫婦のどちらかの死の場合、

夫の死であれば、忌中30日間、喪中が13ヶ月間、これは妻が服する。

妻の死であれば、忌中20日間、喪中が90日間、夫が服する。

 

・・・あれれれ?

って感じですよね。

 

さらに言うと、夫の父母の死の際の忌中や喪中の決まりはありましたが、妻の父母の死の際の決まりはありませんでした。

妻の父母の死に対して、夫は服喪する義務はないとされていたのです。

男尊女卑の武家社会の中では男性の命や死は尊厳が大きいものとして尊重され、女性のそれは軽んじられていたのです。

 

こんな法律が昭和22年までは現行法だったのです。

この法律は第二次世界大戦後に廃止されました。

しかし、その名残が形を変えて現代につながっているのですね。

しかも一律に、忌中は49日、喪中は1年間という形に変わって。

平等になったといえば平等になったのですが・・・。

 

 

 

喪中と忌中の考え方は神道でも仏教でもない、陰陽道の考え方

 

日本ではいくつもの宗教が入り混じって慣習や信仰が形作られています。

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以前に、男の子の七五三のお祝いをいつするのかという記事でも書きましたが、現代日本に引き継がれている慣習に強いに影響を与えたものに、陰陽道というものがあります。

 

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古くはインドの天文学に起源を発するものですが、星の流れ、自然のリズムに基づいて吉兆を決め、それに従って催事などを行うための学問です。

 


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平安時代などには安倍清明などの陰陽師が強力な力を持って政に関わっていました。

忌中とか喪中という考え方も、この陰陽道に従うものとされます。

仏教や神道には本来、このような考え方はなかったのです。

 

では、どうして神社仏閣へのお参りがこのような忌中や喪中を大事にするのか?

それは、それぞれの宗教が生き残るために重要なことだったから、というのがわかりやすい回答でしょうね。

 

現代でも日本以外の国々では政治と宗教は切っても切り離せない関連性がありますよね。

その理想の達成のためには命を捨てることもいとわない人が出現することもあるのが宗教です。

 

それほどに、人の心をつかんで離さない宗教。

人々を統治するべき政治にとって、人々の心をつかんで離さない宗教はとても大事な役割を果たしてきたのです。

 


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日本では戦国時代から江戸時代初期にかけて、大名たちが一向宗や切支丹の統治に手を焼いたこともあり、江戸時代以降、宗教へは一定の距離を取っています。

このため、重宝されたのは武家社会にとって都合のいい宗教や慣習のみです。

その中心に据えられていたのが陰陽道の考え方で、武家社会の日本に置いては仏教も神道もその考え方や慣習を尊重するしか、生き延びる道はなかったのです。

 

そして、庶民もその社会の中でずっと生きてきました。

だから第二次世界大戦の敗戦で日本の武家社会が本当の終わりをつげ、日本的民主主義が成立した後も、既に民衆の中に定着した慣習などは簡単には消えませんでした。

その結果が、現代の喪中や忌中の慣習へとつながるのです。

 

そう考えると、四十九日や喪中の考え方、それほど何が何でも守る必要がない慣習のようにも思えてしまいます。

でも、慣習を守ることは社会で生きていく上で大事なことです。

 

 

 

まとめ 忌中と喪中の違い

 

1.忌中は死の穢れが亡くなるまで49日間、慶事だけでなく公の行事を避ける期間

2.喪中は死者をしのび、悲しみ、お祝い事を避ける一年間(忌中期間を含む)

ということです。

 

忌中の四十九日間は、たとえ親友の結婚式であっても参列をお断りするのが日本式には正解です。

(結婚式を予定していても、肉親が急に亡くなれば中止、延期するのが日本式には正解です。)

忌中が明けてからの喪中、この期間は年賀状や厄払いのお祝いや初詣(神社)などの慶事は避けつつ、友人の結婚式などには参加してかまわない時期、というわけです。

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